似て非なる兄弟 50mmと35mm
2026.09.29PHOTO and WOLF兄弟姉妹というのは不思議なもので、同じ親から生まれて同じ家で育っても、案外違いが目立つことが多い。兄はおっとり弟はヤンチャ、姉は超絶美人で妹は平均的といった具合に不思議とタイプが異なるのはよくある話だ。ちょっとした遺伝子のバランスなのか、環境の違いなのか、些細な条件の違いでタイプが異なる人間に形成されるというのは興味深い。僕にも兄弟がいるが、やはり結構違う。割と人見知りしない僕に対し、兄は30年以上実家で暮らすスーパーハードニートだ。生まれたのが何年か違うだけなのに、兄弟の性格は結構違うのだ。共通点が多いのにキャラクターが違う、それは単焦点レンズの50mmと35mmをイメージさせる。
50mmと35mmには共通点が多い。どちらも「標準レンズ」と呼ばれること、どのメーカーでも必ずあること、種類が多いこと、撒き餌レンズとして安価な製品があること、多くの人に使われていること、F値の明るいものが多いこと。単焦点レンズが好きな人ならほぼ持っている、それが50mmと35mmだ。標準と呼ばれるだけあって画角が特殊ではないので物足りなくなって望遠や広角に手を伸ばしてみるものの、結局戻ってくる王道の焦点距離である。
焦点距離は写真に映る範囲、つまり画角と考えていい。ただし、焦点距離によってボケ量や歪みが変わってくるので、正確には「広いレンズで撮影してクロップしてしまえば同じ」とは言えない。APS-Cセンサーのカメラに35mmのレンズをつければフルサイズ換算で50mm近くの画角になるが、写るものが「完全に同じ」になるわけじゃない。フルサイズのカメラを使い慣れた人が、同じレンズをセンサーの違うカメラにつけて使った時にものすごく違和感を感じるのはそのためだ。マイクロフォーサーズのカメラで50mmの画角を得ようとすれば25mmのレンズを使うことになるが、画角は同じでも50mmと25mmの写りが同じになるわけがない。軽くて小さいとか、たまらなく気に入っているとか、特別な理由がない限りフルサイズセンサーのカメラを使った方がレンズの焦点距離と「いいお友達」になれる。
50mmの印象は、品行方正、紳士的でフェアなイメージだ。レンズの歪みが少なく世界を実直に写す50mmは、どことなく「嘘をつかない正しい人」を連想させる。近くのものを撮ればボケが得られ、視界の一部分をフレーミングすることから肉眼とひと味違う世界を体験し、カメラで写真を撮ることが楽しくなるきっかけになりやすい焦点距離だと思う。レンズのボケ味に魅了され、絞った描写のストイックさを知るとさらにハマっていく。マウントアダプターを介してマニュアルレンズやオールドレンズを使い出すと50mmレンズの選択肢はくぐっと広がり、気づけば何本も買い込んでお小遣いがなくなっちゃったしローンも組んじゃったけどまぁいいかという状態に陥る危険な焦点距離である。
35mmは50mmよりも日常使いに適していると言われる。目の前の情景をそのまま写真に残したい場合、確かに35mmは適している。50mmは見えるものを部分的にした抽出した世界、35mmはもう少し広いそのままの世界が写真に写る。どちらも「フレーミング」することには違いないが、50mmだと「狭い」と感じる人には35mmの方が合っているようだ。複数のものの関係性やつながりを写真として残したい場合には、画角の広いレンズの方が撮りやすい。35mmの優位性は画角だけではない。それは50mmにはない「歪み」が生じることだ。広角レンズほどではない僅かな歪み、そこに35mmの良さを見出すと写真の撮り方も違ってくる。
35mmをバランスの取れた平凡な焦点距離だと考える人もいるだろう。50mmのような派手さはなく、28mmのようなワイド感もない。そういう意味では中庸で平凡を好む我々日本人には合っている焦点距離なのかもしれない。50mmが我を忘れて何かに突き進んでいるのに対し、35mmは一歩引いて全体を見ながら物事を捉える。どことなく失敗を恐れて行動に移せない現代人のようで、それはそれで情けない感じだが、凡庸さを身に纏いながら「いまに見てろよ」と熱い情熱を内に秘めた獣のように思えてならない。
僕の兄は幼い頃から風変わりな男だった。だった、というより50代半ばで独身で実家暮らしで他人とほぼ会話ができないので現在も絶賛継続中である。よくも悪くもインパクトがある人なので、進学する度に僕は「アイツの弟」と認識された。兄は優秀で弟はコンプレックスを抱く、というパターンとも違う。兄はとにかく風変わりなので、弟にありがちな対抗心はあまり起きなかった。それでも兄の影響は大きく、兄がフルートを吹きだしたら僕も吹いたし、兄が好きな音楽は僕も好きになった。しかし少年時代を振り返ると、僕らには明らかな違いがあった。兄は特に意識することなく多数の枠を離れ、僕は意識的に人と違うことを欲した。兄は人から心配され大事にされるキャラクターで、僕はとても短気で家を破壊したりルールを破って常に先生にしかられる困った少年だった。どちらも人に迷惑をかけて心配させたことには違いないが、周囲の大人たちは僕らのことを「違ってるね」と言った。
我が家で暮らした犬たちも、最初の子と2番目の子ではかなり性格が違った。最初の子は散歩してるときに誤って足で蹴ってしまっても、わざとでなければ決して怒らない温和な性格で、2番目の子はスプーン1つ落としただけで怒りまくる激しい性格の子だった。兄はおっとり弟はヤンチャというその有り様はまるで人間の兄弟のようで面白い。僕は甘えん坊で平和主義の最初の子を心の底から愛していて、亡くなったときにこれ以上愛着を抱く犬はこの先ずっといないだろうと思ったが、2番目の子が亡くなったとき「もしかすると同等かそれ以上の存在だったかもしれないね」と妻と語り合った。兄がいなくなって弟の存在感が増したのかもしれないし、手のかかる子は可愛いということなのかもしれない。今年の冬に2番目の子は14歳の誕生日を前にして亡くなった。2日ほど体調が悪いと気にかけていたら夜中の間にあっさり逝ってしまった。少々手のかかるヤンチャな次男の最期は、僕らが看取りで何日も徹夜することもなく感心するほど優しかった。
兄には兄の良さがあり、弟には弟の良さがある。50mmと35mmも同じだ。そこに優劣をつけようとするのは無理がある。50mmを使うときには少しだけ心持ちが「詩的」になり、35mmは少しだけ脳に力が入る。50mmレンズがアンニュイな兄なら、35mmレンズは理論的で野心的な弟。そうすると僕は35mmなのかな?と意味不明な理屈をゴニョゴニョと頭のなかで述べながらお気に入りの35mmを手に取る。僕が持っている35mmはVoigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4とVoigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2でノクトンクラシックの方は買ったり変えたり書い直したりと結婚と離婚を繰り返してきたが、何だかんだと一番長く使ってきたレンズだ。50mmの方はいくつか使って持っていて、最近のお気に入りは軽くてロマンティックな描写のThypoch Eureka 50mm F2だ。50mmと35mmは同じ標準域のレンズなので、写真を見てどちらで撮ったのか正直わからないこともある。つまり、よく似ているのだ。撮っている最中には違いを強く感じるので、写真というよりも「撮影」自体に大きな違いが現れるような気がしている。似ているようで似ていない、ある意味奇妙な関係の兄弟である。
このページの撮影機材

SONY
α7CII(ILCE-7CM2)

LEICA
Summicron 50mm F2.0 Collapsible

Voigtlander
NOKTON Classic 35mm F1.4
-

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lens
- LEICA Summicron 50mm F2 1st Collapsible
- Thypoch Eureka 50mm F2
- MINOLTA M-Rokkor 28mm F2.8
- MINOLTA M-Rokkor 40mm F2
- MINOLTA MD Rokkor 50mm F1.4
- Voigtlander SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 Ⅲ
- Voigtlander COLOR-SKOPAR Vintage Line 21mm F3.5
- Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mm F2
- Voigtlander NOKTON Classic 35mm F1.4
- Voigtlander NOKTON Classic 40mm F1.4
- Voigtlander NOKTON Vintage Line 50mm F1.5 Aspherical II MC
- Voigtlander APO-SKOPAR 90mm F2.8
- PENTAX Super Takumar 28mm F3.5
- PENTAX Super Takumar 50mm F1.4
- PENTAX Super Takumar 55mm F1.8
- PENTAX SMC Takumar 200mm F4
- Nikon AF-S DX Zoom-Nikkor 18-55mm f/3.5-5.6G ED II
- Nikon Nikkor-H Auto 50mm f2
- Nikon Ai Micro-Nikkor 55mm f/2.8S
- TTArtisan 23mm F1.4 C
- Nikon Ai Nikkor 200mm F4
- CANON 50mm F1.8 Ⅱ
- CANON 100mm F3.5 Ⅱ
- ZEISS Planar T*2/50 ZM
- GIZMON Wtulens 17mm F16
- OLYMPUS F.ZUIKO auto-s 50mm F1.8
- OLYMPUS M.ZUIKO 12mm F2.0
- OLYMPUS M.ZUIKO 25mm F1.8
- OLYMPUS M.ZUIKO 40-150mm F4.0-5.6R
- LUMIX G VARIO 100-300mm F4.0-5.6 Ⅱ
- All Photograph













